館長室から

#3 水無月 身近にある「世界文化遺産」

2014.6.1

私が携わってきた埋蔵文化財保護の観点から「平泉の文化遺産」を見ると、2011年6月に世界文化遺産に登録された中尊寺・毛越寺・観自在王院跡・無量光院跡・金鶏山の5史跡は、総体としての「平泉の文化遺産」の一部を構成するもの、と言わざるを得ない。
「平泉の文化遺産」を構成する遺跡・遺物などの埋蔵文化財には様々な内容がある。
まず、登録された5史跡は信仰面の遺構、とりわけ寺院群である。そのタイトル通り、「仏国土(浄土)を表す寺院・庭園の跡」である。
次に、信仰以外の日常生活、政治的活動などに関連する多くの遺構がある。例えば、奥州藤原氏歴代の政治の拠点で、奥羽両国の実質的国府ともいうべき「平泉舘」の跡である柳之御所遺跡、奥州藤原氏の邸宅の跡である志羅山遺跡、伽羅之御所跡遺跡などがその代表である。
日常生活の中で人々が祈った様々な願いに関連する呪(まじな)いの場の遺構も多く発見されている。
さらに、経済活動の跡も重要である。白鳥舘跡(前沢区)は、かわらけや鉄製品を加工し、他所へ供給した北上川の川湊である様子が急ピッチで解明されつつある。
長者ヶ原廃寺跡(衣川区)は南に隣接する接待舘遺跡とともに、物資が移動した当時の大動脈の「奥大道」沿いに建設された関寺、関所の可能性が高い。
この「奥大道」にからむ寺院という性格は達谷窟(平泉町)にも共通する可能性がある。
そして、農業面で平泉文化を支えた村の跡が骨寺村荘園遺跡である。この地は、清衡夫婦発願の「紺紙金銀字交書一切経」の写経事業を監督した自在坊蓮光の所領であったが、発掘調査によって12世紀の常滑焼きの壷が出土するなど、確かに奥州藤原氏時代の農村であったことが証明されつつある。
最後に数的にもっとも多いのが経塚である。末法思想と浄土思想の影響で、11世紀以降、経塚の造営が大流行した。奥州藤原氏もそれにならった結果、岩手県内に特に多くの経塚が分布している。それらの中には、街道の分岐点や郡域の端に築かれているものも多く、信仰上の目的だけではなく、旅人や自領の安全を図るという現世的な目的も込められている可能性がある。
これらの「平泉の文化遺産」を示す遺跡・遺構群は岩手県内に現在約150ヶ所確認されており、うち50ヶ所が平泉町内にある。注意すべきは平泉町以外に100ヶ所存在する事実である。
即ち「平泉の文化遺産」は、平泉町以外の岩手県内各地に多数存在すること、即ち、身近な存在であることを意味している。そのように身近な存在である「平泉の文化遺産」に多くの県民が向き合い、知り、外部へ発信していくような「文化的景観」が出現することを夢見ている。それが世界文化遺産になった本当の価値である。

身近にある「世界文化遺産」
相原康二

相原康二(あいはらこうじ)

1943年旧満州国新京市生まれ、江刺郡(現奥州市江刺区)で育つ。
1966年東北大学文学部国史学科(考古学専攻)卒業後、7年間高校教諭(岩手県立高田高校・盛岡一高) を務める。1973年から岩手県教育委員会事務局文化課で埋蔵文化財発掘調査・保護行政を担当。その後は岩手県立図書館奉仕課長、文化課文化財担当課長補佐、岩手県立博物館学芸部長を歴任し、この間に平泉町柳之御所遺跡の保存問題等を担当。2004年岩手県立図書館長で定年退職後、(財)岩手県文化振興事業団埋蔵文化財センター所長を経て、2009年えさし郷土文化館館長に就任。

岩手県立大学総合政策学部非常勤講師(2009年〜)

岩手大学平泉文化研究センター客員教授(2012年〜)

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