館長室から

#8 霜月 沿岸部の「平泉文化」

2014.11.4

◇遺跡発見への期待!
これまでのところ、岩手県沿岸部に発見された・奥州藤原氏時代の遺跡、即ち「平泉の文化遺産・平泉文化」の数は決して十分とはいえない。
宮古市に7ヶ所前後、山田町に2ヶ所、釜石に1ヶ所、大船渡に1ヶ所、陸前高田市に1ヶ所程度である。(宮古市に多いのは、ここ数年、新しい国道設置関連の発掘調査が続いたことによる。)
南部の気仙郡は産金地帯であり、また、「気仙三観音」など平安仏が多数存在することから、「平泉文化」がない筈はなく、多くは未発見のまま眠っているに違いない。
中央部の釜石・宮古・山田地方は鉄資源が豊富であり、こちらにも未発見の遺跡がまだまだ多数所在する筈である。
宮古市と青森県八戸市の間に位置する沿岸北部には今のところ遺跡は皆無である。これは不自然である。という目での遺跡探査が必要である。(そのような遺跡探査は、内陸部の東磐井郡にも必要である。ここにも優れた平安仏が多数存在するのに、確認された遺跡は1ヶ所のみである。)
3年前の津波から復興、とりわけ高台移転に関連した発掘調査が各地で行われているが、それらの調査によって、必ずや「平泉文化」も発見されるであろうと期待してきた。不謹慎の謗りを受けるかもしれないが、結果的に発見されるであろうと、期待してきたものである。
最近、次のような「平泉文化」関連の遺跡が確認された。

◇釜石市川原(かわら)遺跡
鵜住居地区の山裾に鎮座する鵜住神社の東方の平地に立地し、観音像が流出した鵜住観音堂に隣接する。昨年の調査の結果、堀立柱建物跡、鍛冶関連の炉跡に伴って、鉄製の刀・鍬・刀子・小札(こざね)・鋏・銛・釣針・手鎌・鎹(かすがい)・楔(くさび)・釘などの鉄製品と、フイゴの羽口(はぐち)、さらに12世紀後半の中国産の白磁四耳壺(しじこ)、常滑(とこなめ)産と渥美(あつみ)産の国産陶器、かわらけなど陶磁器の『平泉セット』が出土した。従って、この遺跡は奥州藤原氏時代の鉄器製造工房跡と推定され、奥州藤原氏が「釜石の鉄」を確かに把握していたことが実証されたのであった。

◇宮古市田鎖車堂前(たくさりくるまどうまえ)遺跡
今年度の調査で、上幅1.9メートル×深さ0.7メートルの溝跡とともに、12世紀の鎧の小札、中国産白磁、渥美・常滑等の国産陶器、かわらけ、小刀ほかの鉄製品が出土した。
この遺跡のある閉伊川(へいがわ)河口南方の地域からは、これまでも12世紀の陶磁器や鏡が発見されていたが、かわらけは初の発見である。
かわらけや小刀の存在は、ここに平泉と太いパイプで結ばれた人物が、ひいては何らかの重要な施設が所在した可能性を示唆する。

奥州藤原氏時代の正しい歴史像の復元のためには、沿岸部における更なる遺跡の発見が不可欠である。
沿岸部の「平泉文化」
相原康二

相原康二(あいはらこうじ)

1943年旧満州国新京市生まれ、江刺郡(現奥州市江刺)で育つ。
1966年東北大学文学部国史学科(考古学専攻)卒業後、7年間高校教諭(岩手県立高田高校・盛岡一高) を務める。1973年から岩手県教育委員会事務局文化課で埋蔵文化財発掘調査・保護行政を担当。その後は岩手県立図書館奉仕課長、文化課文化財担当課長補佐、岩手県立博物館学芸部長を歴任し、この間に平泉町柳之御所遺跡の保存問題等を担当。2004年岩手県立図書館長で定年退職後、(財)岩手県文化振興事業団埋蔵文化財センター所長を経て、2009年えさし郷土文化館館長に就任。

岩手県立大学総合政策学部非常勤講師(2009年〜)

岩手大学平泉文化研究センター客員教授(2012年〜)

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