館長室から

#9 師走 奥州藤原氏時代の遺跡―大日前(だいにちまえ)遺跡―

2014.12.5

前回紹介した宮古市田鎖車堂(たくさりくるまどう)遺跡とともに、平成26年度に新たに確認された奥州藤原氏時代の遺跡である。

▲遺跡の位置・歴史的環境
東北新幹線水沢江刺駅の東北方1.8キロに位置する奥州市江刺区田原字大日前に所在。北上川左岸で、それに合流する伊手川と人首川に挟まれた、標高39~41メートル前後の低位段丘の縁に立地。早くから、北上川流域の内陸部と気仙郡などの沿岸部を結ぶルートが存在した交通上の要地である。
遺跡の中央には大日堂(皇大(こうたい)神社)が、西に隣接して松川(まつかわ)遺跡(昭和62年度に調査され、9世紀の掘立柱(ほったてはしら)建物跡地を確認)が所在する。
この大日堂(江戸時代以前は現在地よりやや北側の大日に鎮座していた由)には、12世紀代と推定される焼損仏群が保管されている。
昭和30年代に行われた付近の開田工事の際に12世紀後半の須恵器(すえき)系(恐らくは能登半島の珠洲(すず)焼きであろう)波状文四耳壺(はじょうもんしじこ)が出土し、また、明治時代には、水沢江刺駅東方に位置する火石森(ひいしもり)の頂上から常滑(とこなめ)焼きの三筋文壺(さんきんもんこ)が出土し、ともに経塚への納経容器として用いられたと推定されてきた。
さらに、北方2.5キロには、奥州藤原氏初代清衡の平泉進出以前の居館「豊田舘(とよたのたち)」が所在。
このように、ここ大日堂周辺は、奥州藤原氏時代に関連する遺跡・遺物が多く存在しているのである。

▲調査の成果
県営圃場整備事業に関連した約6,300平方メートルを奥州市埋蔵文化財センターが調査した結果、大別2つの時期の遺構・遺物が確認された。

(1)9世紀後半の遺構・遺物―1間×4間(4.3×8.3メートル)の身舎(しんしゃ)(母屋(おもやのこと))の3面に庇(ひさし)が付けられた倉庫を思わせる掘立柱建物跡他の遺構と、・土師器(はじき)・須恵器(すえき)の破片が出土。倉庫風の掘立柱建物は松川遺跡にも確認されており、平安時代の江刺郡衙(えさしぐんが)(江刺郡の役所)を連想させる。

(2)12世紀の遺構・遺物―河道跡・溝跡・方形周溝群(ほうけいしゅうこうぐん)・柱穴群と、柱状高台(ちゅうじょうこうだい)(別の土器を載せる台で12世紀初期)、手づくねかわらけ(素焼きの盃・小皿で12世紀後半)、渥美(あつみ)と常滑焼の陶器(現愛知県産陶器、12世紀)、中国産白磁(水注(すいちゅう)・梅瓶(めいびん))・青磁と青白磁(碗)(いずれも12世紀)、墨書(ぼくしょ)されたものを含む木製品などが出土。かわらけを出す一部の溝は大日堂を囲む方形となるとも見え、この堂の起源が藤原時代にある可能性も示す。方形周溝群は経塚の周溝か。既述の陶磁器群は、いわゆる「平泉セット」であり、ここが平泉と太いパイプで結ばれていたことを示唆する。河川と陸上交通関連の、あるいは振興関連の何らかの重要な施設が存在したのであろう。
文化の「受容」と「変容」2
相原康二

相原康二(あいはらこうじ)

1943年旧満州国新京市生まれ、江刺郡(現奥州市江刺区)で育つ。
1966年東北大学文学部国史学科(考古学専攻)卒業後、7年間高校教諭(岩手県立高田高校・盛岡一高) を務める。1973年から岩手県教育委員会事務局文化課で埋蔵文化財発掘調査・保護行政を担当。その後は岩手県立図書館奉仕課長、文化課文化財担当課長補佐、岩手県立博物館学芸部長を歴任し、この間に平泉町柳之御所遺跡の保存問題等を担当。2004年岩手県立図書館長で定年退職後、(財)岩手県文化振興事業団埋蔵文化財センター所長を経て、2009年えさし郷土文化館館長に就任。

岩手県立大学総合政策学部非常勤講師(2009年〜)

岩手大学平泉文化研究センター客員教授(2012年〜)

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