館長室から

#12 弥生 考古学的資料の科学分析

2015.3.27

近年の日本考古学では、出土した遺物に様々な自然科学の方法を導入して分析することが一般的になっている。
日本文化財科学会は、その分野の研究者の組織であり、極めて活発に活動している。
この学会の研究テーマをみると、年代測定、産地同定、材質・技法、古環境・保存科学、文化財科学一般等があり、各テーマが多くの分析方法を駆使して研究されている。
なかでも、保存科学の部門は、東日本大震災の津波によって被災した文化財の修理・復旧に大活躍したことは記憶に新しい。

 

▲産地同定一筆者がもっとも興味をもっているテーマが産地同定である。ある遺物がどこで造られたかが判明すれば、その遺物の移動を推定でき、ひいてはその時代の交易活動を復元できることになる。
これまでも、全国各地の縄文時代の遺跡から出土したヒスイ・コハク・アスファルトなどが分析され、縄文時代にも広範囲に物の移動があったことが判明している。
また、古墳時代以降の代表土器である須恵器の産地同定も進み、時代による須恵器生産の異同・変化も明らかにされている。

 

▲中半入遺跡の須恵器ー奥州市に関連する分析結果でもっとも注目すべきは中半入遺跡出土の須恵器である。
この遺跡は、角塚古墳の北約1キロの胆沢川南岸に立地し、5世紀~6世紀代に属する数十軒の竪穴住居跡と、一辺30メートルの方形の溝で区画された豪族屋敷が発見された。即ち、角塚古墳への被葬者と、角塚古墳を築いた農民たちのムラである。
この多くの竪穴住居跡から大量に出土した須恵器は、胎土分析の結果、大阪府堺市の陶邑小窯跡群で焼かれたものであることが判明した。
角塚古墳の墳丘の形、即ち前方後円墳は最も西日本的な墓制であるが、その造営に係った人々が西日本の須恵器を用いていたことになる。ここから、角塚古墳の被葬者の出自などに関する様々な仮説が提起されることになる。

 

▲奥州藤原時代の物流一産地同定の手法を大規模に導入する必要があるのが12世紀の奥州藤原時代である。
「都市平泉」には様々な人物・文物が流入していたが、それらの具体相は産地同定の導入によって、より明らかになるであろう。
平泉にいかに多くの者が流入していたかを明らかにすることは、奥州藤原氏の政治を復元する良好なデータになる。今後に期待したい。

弥生 考古学的資料の科学分析
相原康二

相原康二(あいはらこうじ)

1943年旧満州国新京市生まれ、江刺郡(現奥州市江刺区)で育つ。
1966年東北大学文学部国史学科(考古学専攻)卒業後、7年間高校教諭(岩手県立高田高校・盛岡一高) を務める。1973年から岩手県教育委員会事務局文化課で埋蔵文化財発掘調査・保護行政を担当。その後は岩手県立図書館奉仕課長、文化課文化財担当課長補佐、岩手県立博物館学芸部長を歴任し、この間に平泉町柳之御所遺跡の保存問題等を担当。2004年岩手県立図書館長で定年退職後、(財)岩手県文化振興事業団埋蔵文化財センター所長を経て、2009年えさし郷土文化館館長に就任。

岩手県立大学総合政策学部非常勤講師(2009年〜)

岩手大学平泉文化研究センター客員教授(2012年〜)

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