館長室から

#17 葉月 開放型・分散型・複合型「都市平泉」

2015.8.1

奥州藤原氏の都「平泉」は、拠点地区と周辺地区で構成された「此土浄土(しどじょうど)都市」であった。

 

▲平泉拠点地区
奥州藤原氏の主要な施設・寺院等が設置された最も重要な地区。北を衣川、東を北上川、南を太田川、西を山地で区切られた地域で、現在の平泉町の市街地に一致する。この地区の四周に城壁や濠は無く、鎮守社で守られていた。
この地区には北の関山中尊寺地区、東の無量光院・平泉舘地区、南の毛越寺・観自在王院地区の3つのまとまりが存在した。
 ここに存在する寺院や道路には複数の方位が存在するので、初代から3代にかけて継続的な「町造り」が行われたのであろう。

 

▲平泉周辺地区
近年の発掘調査によって、拠点地区の外側にも藤原時代の遺構が確認され、平泉の「都市城」を拡大することが要請されている。平泉の「都市機能」の一部を果たしていた遺跡である。

 

①下衣川地区(衣川区)―関山北麓の衣川北岸に安倍氏時代の寺院跡の長者ヶ原廃寺跡、藤原氏時代の居館跡の接待館遺跡がある。さらに、当時の主要街道の奥大道が通り、六日市場他の古い市場地名が多数存在することから、平泉の市場機能を果たす地区であったと推定される。

②白鳥舘地区(前沢区)―白鳥舘遺跡は、北上川の屈曲部の丘陵部と、その西隣の平地部で構成され、安倍氏時代以降、北上川の舟運を監視する塞と、かわらけや金属製品の生産・加工を行っていた河港の機能を果たしていたと推定。

③長島地区(平泉町)―北上川の対岸の平地部と山地の縁に藤原時代遺跡が散在し、当時のムラの跡と推定される。また新箱石橋の袂に鎮座する「お大師様」(伝教大師といわれる)の石像は12世紀の作で、都市平泉の北東の隅を守護するものと推定されている。

④祇園地区(平泉町)―太田川以南の祇園地区に大型の掘立柱建物が存在し、平泉の南の玄関口を飾る施設と推定される。

⑤達谷地区(平泉町)―毛越寺から達谷窟に通じる県道は往時の奥大道の跡とされる。窟の前庭の池のある浄土庭園が存在したと推定され、街道に面した関寺的な機能を果たしていたか、或は伝承のように、藤原時代に先行する寺院が存在した地か。

⑥本寺地区(一関市)―骨寺村荘園遺跡の地で、農業生産の場所であり、また、中尊寺経蔵別当の自在房蓮光の荘園があった地である。さらに地区内の窟に中尊寺鎮守の山王神、毛越寺鎮守の蔵王神が勧請された重要な地である。

このように「都市平泉」は中心となる「拠点地区」と、その周辺に、異なる機能を果たす「周辺地区」で構成され、その周囲に城壁などは見られない都市であったのである。

開放型・分散型・複合型「都市平泉」
相原康二

相原康二(あいはらこうじ)

1943年旧満州国新京市生まれ、江刺郡(現奥州市江刺)で育つ。
1966年東北大学文学部国史学科(考古学専攻)卒業後、7年間高校教諭(岩手県立高田高校・盛岡一高) を務める。1973年から岩手県教育委員会事務局文化課で埋蔵文化財発掘調査・保護行政を担当。その後は岩手県立図書館奉仕課長、文化課文化財担当課長補佐、岩手県立博物館学芸部長を歴任し、この間に平泉町柳之御所遺跡の保存問題等を担当。2004年岩手県立図書館長で定年退職後、(財)岩手県文化振興事業団埋蔵文化財センター所長を経て、2009年えさし郷土文化館館長に就任。

岩手県立大学総合政策学部非常勤講師(2009年〜)

岩手大学平泉文化研究センター客員教授(2012年〜)

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