館長室から

#37 卯月 考古学から「平泉文化」を考える
奥州藤原氏の村支配1―「磐前村印」とは①―

2017.4.2

奥州藤原氏の政庁「平泉舘」と推定されている柳之御所遺跡より、平成11年に銅製の印章が出土した。一緒に出たのは、器全体を布で包み、その上に黒漆を塗った白磁四耳壺で、12世紀の末に井戸に棄てられたもの。この印章は、未だに明らかにされていない奥州藤原氏の村落支配の手がかりとなる貴重な資料である。

 

◆印章の考古学的検討

平川南氏(国立歴史民俗博物館、当時)は次のように観察した(平川南「岩手県平泉町柳之御所遺跡出土銅印」『出土白磁四耳壺と印章』より)

△釈文―「磐前村印」

△保存状況―極めて良好で、一部に銅色の光沢が残る。また、印面の彫りの凹部分に朱が付着している(印章として実用)。

△法量―印面は縦・横4.7cm、高さ3.7cm、重さ167.4g。古代の印章の郷印の平均サイズ約3.3cmより大きく、郡印に近い。

△印面の状況―やや隅の円い方形で、8~9世紀代に多い四隅の鋭い正方形の印面ではない。また印面に明瞭な反りがあり、外郭が印文よりやや低くなっている。

△文字の彫り方―彫りは極めて浅く、鋳出後に鏨で部分的に字画の切れ目を補ったり、底部を浚っており、字画の断面が逆U字型を呈す。8~9世紀の印章は彫りが深く、断面は逆V字型をなすものが多い。

△紐(つまみ部)―弧紐無孔のタイプである。現存する8~9世紀の印章を見ると、弧紐無孔は公印(倉印・郡印・軍団印など)に共通し、私印は莟紐有孔である。なお、郷印に莟紐有孔タイプがある。ちなみに、宮城県宮城郡七ヶ浜町鼻節神社所蔵の伝世印「国府厨印」は、縦、横4.1cm、高さ3.9cm、重さ124.2g、弧紐無孔である。

△字体―楷書体である。一般に郡印は8世紀後半に楷書体で造られたが、平安時代には中央の八省印や各国印と同じ篆書体であった。即ち、公印は篆書体が基本で、郷印を含む私印は楷書体が一般的であった。その点で本印は私印的か。

△鋳造技術―その密度は7.99g/㎤で、古代印の平均7.0g/㎤、近世印の平均8.5g/㎤の中間的な数値である。従って、考古学的には、古代印ではなく、それより新しい可能性がある。

 

◆印章の文献史学的検討

入間田宣夫氏(東北大学東北アジア研究センター、当時)の検討結果を示す(入間田宣夫「平泉町柳之御所遺跡出土の磐前村印について」『出土白磁四耳壺と印章』より)。

△磐前村の読み―「いわさきむら」或は「いわがさきむら」

△その所在地―①奥六郡周辺に求めると「伊沢郡石崎村」がある(中尊寺文書、建武三年(1336)実幸譲状)。また、『人々給絹日記』墨書折敷に記載された「石埼次郎殿」の所領の可能性はないか?

②和賀郡岩崎村(北上市和賀町岩崎)の可能性もある(鬼柳文書、貞和四年(1348)鬼柳義綱譲状の写しに「岩崎楯」の合戦とある)。

考古学から「平泉文化」を考える
相原康二

相原康二(あいはらこうじ)

1943年旧満州国新京市生まれ、江刺郡(現奥州市江刺区)で育つ。
1966年東北大学文学部国史学科(考古学専攻)卒業後、7年間高校教諭(岩手県立高田高校・盛岡一高) を務める。1973年から岩手県教育委員会事務局文化課で埋蔵文化財発掘調査・保護行政を担当。その後は岩手県立図書館奉仕課長、文化課文化財担当課長補佐、岩手県立博物館学芸部長を歴任し、この間に平泉町柳之御所遺跡の保存問題等を担当。2004年岩手県立図書館長で定年退職後、(財)岩手県文化振興事業団埋蔵文化財センター所長を経て、2009年えさし郷土文化館館長に就任。

岩手県立大学総合政策学部非常勤講師(2009年〜)

岩手大学平泉文化研究センター客員教授(2012年〜)

過去のコラム一覧はこちら>>ツキイチコラムバックナンバー