#21 睦月 五位塚について(3)
2026年1月1日
あけましておめでとうございます。
本年も「えさし郷土文化館」をよろしくお願いいたします。
〇「奥羽史講習会」と五位塚古墳群について
今回も小玉克幸氏(奥州市地域文化財研究所)が胆江日日新聞紙上に掲載された「特別寄稿 江刺金札米を生み出した人々 最後の江刺郡長 黒澤喜一郎氏」を参考にし、関係資料を交えながら記述してみます。
黒澤江刺郡長と小笠原謙吉によって岩手日報紙上で行われた「五位塚論争」によって、江刺郡や五位塚古墳群が県内に広く知れ渡ることになります。こうした中で大正14(1925)年7月21日付け同紙夕刊に、【岩谷堂に開かるる奥羽史講習会 八月八日から十二日まで 講師と実地研修地】という記事が掲載され、講師は喜田貞吉博士(東北帝国大学)と高橋健自博士(東京帝室博物館)で、指導員は菅野義之助・小田島祿郎両県史蹟名勝天然記念物調査員という具合に、講師やスタッフの紹介等も行われています。また、同年8月9日付けの同紙夕刊には、【江刺郡史展覧会下見】という記事があり、岩谷堂小学校の6教室を借り切って展示した数百点の資料について解説する先取り取材が行われるなど、講習会の実施に向けた盛り上がりが醸成されて行きます。
いよいよ8月8日を迎えて、「奥羽史講習会」及び「考古資料展覧会」が岩谷堂小学校を会場に開催されます。主催は岩手県教育会江刺郡部会であり、初日は同部会長を兼務する黒澤郡長の挨拶に続き、喜田貞吉博士により「奥羽の沿革を主としたる日本古代史の概説」という演題で講演が行われました。この日の午後は稲瀬地区の鶴羽衣城遺跡(現鶴羽衣柵遺跡)を見学しています。続いて後半の日程は高橋健自博士が登壇し講演を行いました(3日間か?)。新聞記事によると同月末日の予定で受講者に謄写版印刷による両博士の講演要旨が有償頒布されたようですが、小玉氏と私は実物を確認できていません。
しかし、岩手県立博物館収蔵資料(小田島祿郎コレクション)の中に高橋博士の奥羽史講習会講演録の原稿があることを知り、同館の許可を得て写真を掲載することができました(写真1・2)。講習会で高橋博士は「考古学」という演題で講演していますが、講演録原稿の内容を概観すると博士が大正2(1913)年に著した『考古学』と同11(1922)年に著した『古墳と上代文化』という文献の記載内容に類似しており、考古学の定義にはじまり時代区分を経て各時代の遺構や遺物の解説をしています。いわば、当時の最新情報に基づく考古学の概説だったということになります。
講演の中で五位塚古墳群に類似する「上円下方墳」については用明天皇陵と天智天皇陵以外には類例が無いと解説していますが、この直後に恐らく小田島祿郎らの案内により五位塚古墳群を見学し、前述した報告書に目を通し説明を受けた結果、翌日(最終日か)の講演では方形墳は「上方地方よりも東北地方の方が沢山見られるということを承知」したと訂正し、「これは古墳末期に行われた型式であるから、文化の遅れた東北にあることは自然の現象」であると結論付けています。つまり五位塚古墳群については、古墳時代終末期の方形墳が東北地方において後の時代(奈良時代ころを想定か?)まで残っていたと解釈したわけです。
ところで「奥羽史講習会」に参加した研究者のなかで特に注目されるのが、当時秋田県仙北郡六郷町長だった後藤宙外(寅之助)です。宙外は小説家や評論家等として明治の文壇で活躍しますが、やがて郷里に帰り大正8(1919)年から2期8年間六郷町長を務めます。この間考古学や歴史学の研究に没頭し、昭和4年末から同5年正月にかけて「高梨村払田柵址略図」を作成すると奥羽史講習会で知り合った研究者に配布し、同5年3月には宙外が担当者となって払田柵遺跡を発掘調査し、古代城柵であることを確認しています。この際に岩手県からは菅野義之助らが参加しています。
後藤宙外翁顕彰会によって刊行された『後藤宙外 目で見るその生涯』には「奥羽史講習会」と題して記念写真(写真3)が掲載されており、解説を担当された船木義勝氏によると、写っている人物は前列右から渡辺晴雄(福島県)、高橋健自、後藤宙外、堀江繁太郎(福島県)、後列右から菅野義之助、小田島祿郎、新渡戸仙岳(岩手県)、武藤一郎(秋田県)とのことです。会場となった岩谷堂小学校にて撮影したものと思われ、ガラス戸の奥に会場の様子を垣間見ることができます。
今回は宙外の顕彰事業を引き継いでおられる大仙市仙北史談会より許可をいただき、写真を掲載することができました。同会の皆様と岩手県立博物館の皆様には本事業へのご理解とご協力をいただき感謝申し上げます。
尚、今回のコラムにつきましては当館の収蔵品ではない資料や写真が掲載されており、無断転載は禁止いたしますのでご注意願います。
写真1 高橋健自講演録原稿(表)
写真2 高橋健自講演録原稿(裏)
写真3 奥羽史講習会
髙橋憲太郎(たかはしけんたろう)
1958年、水沢市(現奥州市)に生まれる。
1977年、岩手大学教育学部に入学し、岩手大学考古学研究会に入会後、岩手県教育委員会の西田遺跡資料整理作業や盛岡市教育委員会の志波城跡(太田方八丁遺跡)・大館町遺跡・柿ノ木平遺跡等の発掘調査や整理作業に参加する。
1981年、大学卒業後、盛岡市教育委員会(非常勤職員)・宮古市教育委員会(1984年正職員)に勤務。特に宮古市では崎山貝塚の確認調査や国史跡指定業務等に従事した。この間文化課長・崎山貝塚縄文の森ミュージアム館長・北上山地民俗資料館長等を歴任。
退職後の2020年、奥州市に帰り教育委員会にて文化財専門員(会計年度任用職員)として埋蔵文化財業務等に対応。
2021年、岩手県立大学総合政策学部非常勤講師。
2024年、えさし郷土文化館長就任。
