館長室から

#69 師走 平泉遺跡群出土の重要文化財再見④

2019年12月1日

◆木製品
柳之御所遺跡の堀・井戸・池跡など水分の多い遺構から様々な木製品が出土しました。その種類を紹介します。

*飲食具―漆器椀・皿、箸、杓子、匙(さじ)形
*調理具―曲物(まげもの)
*容器―折敷(おしき)、蓋、曲物、栓
*工具―刀子(とうす)の柄と鞘、箆(へら)、漆塗り刷毛(はけ)、砥石(といし)台
*武・馬具―柄、鞘、竪櫛(たてぐし)
*漁撈具―網針(あばり)
*紡織・裁縫具―糸巻、紡輪(つむぎわ)、裁衣尺(さいいじゃく)(鯨尺?)
*服飾具―扇、横櫛、留針、下駄
*文房具―物差し、硯(すずり)
*遊具―将棋駒、毬(まり)、羽子板、独楽(こま)
*祭祀具―火鑽杵・臼(ひきりきね、うす)、人形(ひとがた)・刀子形(とうすがた)・刀形(かたながた)・鏃型(ぞくがた)・笄形(こうがいかた)・鳥形(とりがた)・陽物形(ようもつがた)・砧形(きぬたかた)・五輪塔形(以上形代(かたしろ))、笹塔婆(ささとうば)、宝塔(ほうとう)、呪符(じゅふ)
*建築材―破風板(はふいた)、屋根板、橋脚根(きょうきゃく・ね)・礎板(そばん)
*その他―墨で絵や文字を書いた折敷、飾り具、蜜柑玉(みかんだま)状、自在鉤(じざいかぎ)、御簾錘(みす・すい)、籌木(ちゅうぎ)、木札状、葉状、支脚、各種部品

大は破風板等の建築部材から、小は横櫛に至るまで、藤原時代の生活各分野の道具類が出土しており、これだけでも壮観です。

ただし、農具や工具等、直接的な生産活動に関する道具が少ないのは、平泉遺跡群が支配する側の武士の居住地域であったことを反映していると思われます。

現在のトイレットペーパーに相当する木の棒である籌木(ちゅうぎ)は、当時の都でも使用されていましたが、平泉からは総計5,000本以上が出土しており、使用されなくなった折敷の板を割って作られていました。

下駄には台部と歯を一体化した連歯(れんし・れんば)下駄と、歯を差し込んだ差歯(さし・さしば)下駄の2種類があり、中には漆塗りの「高級品」もあります。位の高い武士、或いは僧侶などが履いたのでしょうか。

祭祀具類の中では、様々な形代(かたしろ)や呪符(じゅふ)が注目されます。昔から人々は、その切なる願いを叶えようとお祈りやお呪(まじな)いをあげたりしましたが、そのような場面で用いられたのが形代(かたしろ)です。様々な形代には切実な願いが込められています。
例えば、鳥形は魂の案内役ですし、男性性器を象った陽物(ようもつ)形はエネルギーや力の象徴として、イナゴの被害を避けるため田んぼの水口(みなくち)に建てたり、井戸の水が涸れたり濁ったりした際に、井戸の中に納められました。なお、横顔の人形(ひとがた)は日本最古のものです。

これらの様々な木製品の素材に使用された材木の樹種鑑定も行われています。全体的にスギ材が多く用いられていますが、建物の柱材にはクリが用いられ、櫛にはツゲ材があるなど、器種別の木材の選択が行われていました。

#69 師走 平泉遺跡群出土の重要文化財再見④
相原康二

相原康二(あいはらこうじ)

1943年旧満州国新京市生まれ、江刺郡(現奥州市江刺)で育つ。
1966年東北大学文学部国史学科(考古学専攻)卒業後、7年間高校教諭(岩手県立高田高校・盛岡一高) を務める。1973年から岩手県教育委員会事務局文化課で埋蔵文化財発掘調査・保護行政を担当。その後は岩手県立図書館奉仕課長、文化課文化財担当課長補佐、岩手県立博物館学芸部長を歴任し、この間に平泉町柳之御所遺跡の保存問題等を担当。2004年岩手県立図書館長で定年退職後、(財)岩手県文化振興事業団埋蔵文化財センター所長を経て、2009年えさし郷土文化館館長に就任。

岩手県立大学総合政策学部非常勤講師(2009年〜)

岩手大学平泉文化研究センター客員教授(2012年〜)

2024年えさし郷土文化館館長退任

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